言うほど俺たち個性的か?

 

 


個性の時代という言葉すら陳腐になってしまった現在、
人間の個性というものも大事にされなくなってきている
ように感じる今日この頃ではあるが…

そもそも俺たちの個性とは、そんなにあるのだろうか?

「大辞林第二版」によると、個性とは
個人・個物を他の人・物から区別しうるような、固有の特性。
パーソナリティー。

ということなのだが…はてさて。

個性を構成する要素とは一体何か?

1.遺伝的特性
まずはこれがそもそもなのではなかろうか?
人間同士の差異というものは、一塩基多型(SNPs)やマイクロサテライト
といった小さな差異の積み重ねなのだ。
大体1%も違ったら人とチンパンジーの差ぐらいになってしまう。
1%って結構でかいんじゃないかそれだったら?

異なった人種間ですらそこまでの違いはまずないだろう。
そう考えると日本人同士の違いなんてせいぜい0.01%とか
その領域に突入しかねない。
そんな中で個性だ何だといわれても、なんともいえない部分も
あるのだが、実際の見た目とかやっぱりずいぶん違うしな。

その微妙な違いがこんだけ大きな違いになってるのは
考えてみたら面白いといえるかもしれない。

2.後天的学習の結果
遺伝的特性以外に後天的学習結果ってのはまちがいなく
あるだろう。ただ先天的な嗜好も絡んでくるのでむずかしい。
一卵性双生児で違う道を行く人ももちろんいるが、二人そろって
気球の研究したり漫画家になったりしてるのを見ると…。

3.環境要因
これも後天的学習に近いのかもしれないけど、環境要因は
やはり大きいだろうなあ。
といっても優れた人間ばかり家族に居てもひねくれるかも
しれないし、ダメ人間の家族に反発して優秀になるかも
しれないからその反映のされ方は簡単ではない。

…と書いていったら結構あるな。
うん、個性ってやっぱあるんだな。
ただその個性を形作るものってのは一つ一つは些細なものだ。
その小さな違いが積み重なって大きな違いになっている。

後人間ってのは社会性動物だから、ある程度は同調圧力受けて
個性ってのを出さないようにしないと生きにくい。

一人一人は結構もっている個性を、社会のしがらみで押さえ込み
ながら生きてるんだろうなぁ。実際のところ。
で、どこかでそれを発散しようとして…似たようなことをしたり
することもあるのかもしれない。いや、用意された選択肢に限り
がある
から似たようなことしか出来ないんじゃないか?

まぁ自分にそれがあってればいいんだろうけど、まれーに
選択肢で不十分な人が出てきて、芸術したり世界に革命の火を
投げ込んだりして世界は回っていくのだろう。

私は選択肢に満足して…いない部分もあるんだろう。
多分ずっとホームページやってる人なんかは満足して
ないんじゃないだろうか?

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